●少林武術ショーに思う
少林寺と聞いてまず思い浮かぶのは、金剛禅総本山としての姿よりも、その武術であろう。
日本では少林寺拳法と混同され易いが、これらに直接関係はない。ジェット・リー主演の映画『少林寺』により、世界に広く知られることとなった少林武術(もしくは少林拳)。これは無手の技だけでなく、棍(長い棒)、刀(青竜刀)、鞭などの武器をも使いこなす、本格的な戦闘術なのである。
現代社会に於いては僧侶と戦闘術は相反するもののように思えるが、世の混乱期ではごく当たり前のことだった。宗教組織も拡大すると利権が絡み、それを狙う敵対勢力も現われる。例えば戦国期の日本でも、寺社仏閣の武装化はごく一般的だ。広大な領地を持つ彼らは盗賊や様々な勢力に狙われる。また欧州でも教会の守護が目的の、騎士修道会などがあった。
それでは少林寺がどうだったかといえば、やはり外敵からの防衛目的の武僧集団を持っていた。伝説によれば菩提達磨大師が戦闘の効率化と、修行の一環を兼ねて、少林拳を創始したと呼ばれている。唐朝の創業期には兵力を援軍として送り込むなど、傭兵的働きもしていたという。
外敵の居ない現代では武僧団は必要ないように思われるが、少林寺では拡大の一途を辿っている。修行の一環という創始当時の目的ももちろんあるが、現在ではショーとしての小林武術が注目を集めている。国内だけでなく海外公演も積極的に行ない、寺の資金源になっているのだ。
前回の記事では、宗教文化を売り物にしていることに対して警鐘を鳴らしていたものの、実際に目にした少林寺武術ショーには思わず引き込まれてしまった。それは修行であり戦闘術であるのはたしかだが、鍛え抜かれた肉体と磨き抜かれた技は、人間の潜在能力を見せつけてくれる。
形象拳と呼ばれる生き物の動きを取り入れた拳法では、猿やサソリなどの動きを身体全体で表現する。また棒術や剣術などの舞うような動きは、武術というより舞踏のようだ。極めつけは気功術(内功と呼ばれる)で、気の力で身体を鋼鉄化したり、針で厚いガラスを突き通したりもした。
修行の一環である技を見世物にするのはどうかと思うが、これを見られないのもまた残念だと思う。相反する気持ちを持て余しつつ、良質の功夫映画を観たような気分で会場をあとにした。
















