2007年08月07日

●草原でモータースポーツ

ぼくがまだ20代のころ、バイクで風を切るのが好きだった。

夏は暑いし、冬は寒い、雨が降ればずぶ濡れになってしまう乗り物だが、それでも人車一体となって風を切る感覚は他に代え難いものがあった。こいつといっしょならどこへでも行けると、各地を旅してまわったものだ。そんな相棒と別れて10年近くになるが、今でも恋しく思うことがある。

草原ライダー
気持ちよさそうに風を切る友人f嬢
内モンゴルで乗馬体験を行っている最中、現地の人たちがバイクで移動しているのを見た。遮るもののない草原で、風になるのはさぞ気持ちよいことだろう。そう感じたのはぼくだけではなかったようで、元バイク乗り数人があれに乗りたいと声を上げた。相談の末、現地人に無理をいって愛車を貸してもらうことができた。

しかし、このバイクがくせ者で整備状況はかなり悪い。油断しているとすぐエンストするし、前輪のブレーキレバーは無くなっていた。ブレーキが使えないのは致命的ではないかと思ったが、走り出してみればそんなことは杞憂だと気がつく。見渡す限りの草原では、物陰から何かが飛び出してくることはないのだ。急制動を行う必要はないので、エンブレとリアブレーキだけで十分だった。

久しぶりのバイクでおっかなびっくり走り出すと、景色は後方へと流れ出す。ギアをかき上げながらアクセルを開けていくと、バイクは弾かれたように加速を開始した。懐かしい感覚に心を振るわせながら、このまま地平の彼方まで走り続けていきたいような気持ちに支配されるのだった。

日本にいたころもバイクは自由な乗り物だと思っていたが、ここでのそれは桁違いだった。ヘルメットやグローブも付けずに風を切るのは初めての感覚だし、スピード制限などの交通ルールもない。何よりここでは道すら存在せず、すべての制約を解き放ち好きな場所へ行けるのだった。

草原をゆく:クリックで拡大
荒れ地をものともせず、ぐんぐん進むATVも楽しい
思う存分バイクを楽しんだあとは、ATV(Allwheel Traction Vehicle:全輪駆動車)と呼ばれるバギーにも挑戦してみた。

かつてコタキナバルにて同様の乗り物を楽しんだが、その走破性は草原にぴったりの乗り物だ。デコボコ道や荒れ地、ちょっとした岩場などをものともせずに進む様はなんとも心地よい。水たまりや段差に自ら飛び込みたくなるのだ。

これらは内燃機関で走るので、排ガスが出る。そう考えると草原でこれらを乗り回すのは悪いことのようにも思えるが、それでも抗いがたいほどの魅力がある。上海に来て以来、すっかりモータースポーツから遠ざかっていたが、また自由に走り回りたいとの想いが強くなってしまったようだ。

2007年08月05日

●騎馬で大草原をゆく

大草原の朝は早い。

暖かなゲルから一歩踏み出すと、外はひんやりと冷たい空気。うっすらともやのかかった草原もまた、なかなか趣深い風景である。朝の散歩を終え、揚げマントウや臓物のスープなどで簡素な朝食を済ませたぼくたちは、大草原を満喫すべく馬に乗って草原を散策するツアーに参加した。

草原をゆく:クリックで拡大
遙か彼方を見つめながら、騎馬隊は草原をゆく
宿営地の近くでは、多数の馬がのんびり草を食んでいる。好みの馬を選んでおっかなびっくり乗り込んだら、いよいよ大草原へと出発だ。

出発前に簡単な乗馬法のレクチャーがあるものだと思っていたのだが、現実は乗りながら自らで習得するしかない。手綱を引いてくれる人もいなければ、曲がり方も判らない。大きく隊列を外れると、スタッフが馬を追い立て列に戻す。

はじめは辺りの風景に目をやるどころではなかったが、少しずつ景色を楽しむ余裕も生まれた。なだらかな起伏の草原は徐々にその姿を変えていくが、その果てがどこにあるのかはここからでは判別することができない。その雄大な自然の姿に、自らの心までもが広がっていく気がした。

それにしても乗馬というのは、思ったよりも体力を使う。腰を浮かすようにして乗るのは太ももに負担がかかるし、前後左右に揺れ動く馬上で上半身を安定させるには、常に腹筋がフル稼働となる。健康器具のジョーバではないが、なるほどただ乗っているだけで腹筋運動ができそうだ。

丘の上の小さなほこら:クリックで拡大
どこか神聖な雰囲気のほこら
そろそろ疲労がピークに達した頃(といっても40分くらいしか乗っていない)、1軒の民家にて休憩することとなった。すっかりガニ股になってしまった足と、擦れて痛み出した尻をさすりながら、暖かいモンゴル式ミルクティーと茶菓子を頂く。猫と戯れたり、民族衣装を着た人と記念撮影をしたり、のんびりした時間が流れる。

休憩中、別料金を支払うことで全力疾走を体験させて貰えるという。せっかくの機会だからとお願いしたのだが、これがなかなか怖かった。高さ1メートル50センチ程度の不安定な馬体の上で、2本の足と手綱を持つ手だけが頼り。下から突き上げられるような振動に何度も放り出されそうになりながら、草原を全力疾走で駆け抜ける。戻ったころには、恐怖で笑いが止まらなかった

宿営地への帰り道は別ルートだ。途中、小高い丘の上に立つ、小さなほこらに立ち寄った。積み上げた石の上に枯れ木を突き刺し、青と白の布が至る所に巻き付けられている。どんな意味があるのかは判らないが、おそらくここが神聖な場所であろうことだけは見て取ることができた。

ぼくらは小さなほこらに向かい、旅の平穏と、この豊かな草原がいつまでも続くことを祈った。

2007年08月03日

●草原の夜はカラオケバーで

内モンゴルの草原の夜は、静かにまったりと過ぎていくと思っていた。

これが一般の都市への旅行であれば、夜の街を散策することもできるだろう。しかし、草原は右を見ても左を見ても、やっぱり草原である。期待していた満点の星空もなく、ゲルにこもって会話に花を咲かせるか、トランプなどのゲームに興じながら過ごすことになると予想していたのだ。

草原のカラオケバー:クリックで拡大
草原の夜に出現したカラオケバーはなんとも不思議な空間
ところが、我々のゲルとは少し離れた場所にある大型のゲル。ネオン管にて酒場の文字が浮かび上がっているのに気がついた。どうしてこんなところに、そう思いながら近付いてみると、中から大音響で歌声が聞こえてくるのだ。

入ってみると思いのほかしっかりしたバーで、カウンターやソファ席も用意されている。不思議な違和感に悩まされつつも、ぼくらは席に着いた。

草原での酒盛りといえば、ゲルの中で車座になって馬乳酒を酌み交わす。そう思っていたのだが、近年馬乳酒はほとんど作られることがないという。代わって我々に供されたのは、ミルクビールという珍妙な飲み物。さっぱりした発泡酒なのだが、後味は立派なミルクのそれであった。

その他にもコロナビールなども扱っており、ここが草原であることを忘れそうになる。先客の中国人たちと交互にカラオケを歌い、会話に花を咲かせながら、草原の夜は騒がしく過ぎていった。

2007年08月02日

●モンゴル式歓迎術

夕暮れの草原にて、歓迎のショウを見せてくれることになった。

まずは草原の何ヶ所かに立てた旗をコースに見たてた草競馬だ。ゲートもなければファンファーレもなく、レースは唐突に始まった。土煙を立てて走り去る馬たちはあっという間に小さくなり、残念ながら迫力がない。ゴールラインも存在せず、勝負は開始時と同じように唐突に終了した。

モンゴル相撲:クリックで拡大
短期間の取り組みだが、終了時にはドッと疲れてしまった
その後も曲乗りなどが披露されたが、観客を魅せるという工夫がなく淡々と行われる。素朴といえば聞こえがよいが、やや物足りなく感じた。エンターテインメントを求め過ぎだろうか?

続いて行われたのは、モンゴル相撲だ。ひとくちにモンゴル相撲といっても、地方によって3種類に大別される。内モンゴルのそれは鋲を打った革ベストを着込み、両手が付くと負けになる。

まずは内モンゴル人同士2組が勝負を行ない、勝ったほう同士が決勝戦となる。細かなルールはわからないが、互いに上体を引き合ったり、足をかけたりとせめぎ合いが続く。最終的には小柄な青年が相手を投げ飛ばし、この日の優勝者となった。原始的だが、故に熱い勝負だった。

続いて観客から参加者を募っていたので、飛び入りで参加する。元柔道家としては負けたくないとは思うものの、日頃の運動不足がたたり身体が思うように動かない。しばらく膠着状態だった試合も、一瞬の隙を突かれて投げられてしまった。負けたのは悔しいが、それでも爽快だった。

モンゴル舞踏:クリックで拡大
力強くも優雅に舞い踊る女性たち
夕飯はゲル型の大食堂にて、羊肉や新鮮な野菜を使った料理が振る舞われる。歓迎を意味する羊の丸焼きが解体され、銀の杯に注がれた酒が次々と振る舞われる。食事は特別美味しいものではなかったが、素材の力を活かした素朴な料理であった。

食後は歓迎の舞いが披露される。本来は草原にてキャンプファイヤーを焚きながらの予定だったが、残念ながら外はあいにくの雨。食事用テーブルを片付け観客たちが車座になると、きらびやかな衣装に身を包む男女がステージ中央に進み出る。ある者は舞い、ある者は歌い、ある者は民族楽器を奏する。演出らしい演出はなかったが、この素朴さが逆によいのかもしれない。過剰な演出にかき消されることなく、歓迎の意が伝わってきたから。

歓迎の舞台が終わってゲルを出ると、雨はいつの間にか上がっていた。微かに湿気を含んだ冷えた空気が、火照った頬に心地よい。残念ながら期待していた満点の星空は見られなかったけれど、空にはぽっかり白い月が浮かんでいる。明日はきっと晴れる、そんな気がした夜だった。

2007年07月29日

●内モンゴルで家庭訪問

ゲルを組み立て終えたぼくらは、再びバスに乗って草原を走り始めた。

次なる目的地は、草原に暮らす民の家だ。そこで牛の乳しぼりや、乳製品作りを体験させてくれるという。しかし、ちょっとそこまでとはいうけれど、日本とはスケール感が違い過ぎる。草原を縦横無尽に貫く砂利道を通って、30分ほど走ったところでようやく一軒の家屋へとたどり着いた。

乳しぼり:クリックで拡大
暖かな牛の乳房を強く握ると、新鮮なミルクがほとばしる
モンゴルいえば遊牧の民というイメージだが、近年では定住して放牧をすることのほうが多いという。こちらの家族も昔ながらのゲルではなく、土とレンガ造りの家屋に暮らし、牛や羊の放牧と観光収入で生計を立てているようだ。

古い文化や習俗が失われるのは寂しいが、それを外部の我々がいうのはエゴだろう。残念だが、多くの少数民族が同じ道をたどっている。

さて、そんな当世風の草原の民の家にて、牛の乳しぼりを体験させて貰う。大人しい草食動物とはいえ、自分よりも大きな動物にちょっとビビりつつも、暖かな乳房にそっと手を添える。はじめはなかなか上手くいかないが、慣れてくるとビューッと勢いよくミルクをほとばしらせることができた。

交代で牛の乳をしぼっていると、なんだか無性に楽しくなってくる。調子に乗ってどんどんしぼっていると、その乳はぼくらのものだといわんばかりに、周りで見ていた子牛たちが鳴くのだった。

乳製品作り:クリックで拡大
昔ながらの手作り乳製品だ
しぼったミルクは加工して、いろいろな乳製品にするらしい。

キッチンに案内されて加工の現場を見学させて貰う。時間のかかる行程なので、作業の途中途中を見せて貰っただけだが、なにを作っているのか今ひとつ釈然としない。これはチーズと教えられたものはどう見てもヨーグルトだし、これはバターだと説明されたものも、小麦粉を加えたりしていて違うものに思える。

おばさんはチンチンに熱した鍋に加工したミルクを流し込んだかと思えば、ふらりとどこかへ消えてしまった。このままでは焦げてしまうと判断し、思わず勝手にかき混ぜるぼくたち。立ちこめるよい香りを堪能しながら、グルグルと鍋をかき回し続けるのだった。

民家の周りには鶏や犬が遊び、牛がのんびりと草を食む。なんとものどかで牧歌的な風景に、都会の暮らしでささくれ立った心が癒されるようだ。自分たちで建てたゲルもよいけれど、こんな素朴なモンゴルの一般家庭に、ホームステイさせて貰えたらなと感じさせてくれたひとときだった。

2007年07月28日

●草原の国から 2007 追憶

突き上げるような振動に目を覚ますと、車窓の外には見渡す限りの草原が広がっていた。

夢にまで見た大草原だが、これは夢じゃない! 眠気はどこかへ吹き飛び、軽い興奮が全身を包む。ぼくらを乗せたバスは未舗装のでこぼこ道を進み、やがて小さな集落へとたどり着いた。

見渡す限りの大草原:クリックで拡大
東西南北どちらを見ても、同じような景色が続いている
週末、仲間と連れ立ち、内モンゴル自治区のシラムレン(希拉穆仁)草原を訪れた。一泊二日の強行軍にて、大草原を満喫する旅である。

内モンゴルの玄関口であるフフホト(呼和浩特)までは、飛行機で約2時間半。ビルが立ち並ぶ近代的な街並みは、ここが本当に草原の国か疑わしくなる。看板に描かれたモンゴル文字だけが、中華圏とは異なる文化を伝えていた。

ぼくらを乗せたバスは市街地を抜け、やがて険しい山道に差しかかる。切り立った風景は想像の草原とはかけ離れているが、目的地シラムレン草原は標高1,500メートル前後に位置する。ここを登り切った場所に大平原が広がっているのだなと想像しながら、いつしか眠りに落ちていた。

ゲルを組み立てる:クリックで拡大
モンゴル族に手伝って貰い、今宵の宿を自ら組み立てる
バスを降りると、モンゴルの民族衣装に身を包む男女が、陽気な歌を歌いながら銀の杯を差し出す。苗族の村でもそうだったが、ここでも遠方からの客人は地酒でもてなすものらしい。

きゅっと杯を干して大地に降り立ち、ぐるりと辺りを見はるかす。どこまでも続く平原の中に、ぽつりぽつりとゲルや建物が目についた。ついにここまで来たんだなと、深い感慨を覚えた。

素朴な昼食を終えたあとは、自分たちの宿となるゲル(移動式テント)を組み立てる。本格的なものではなく、コンクリートの基部を持つ観光用だ。外壁となる木組みの枠に、複数の棒と円形の木枠を使い屋根をかける。外壁にフェルト生地を巻き、外側に防水シートを被せれば完成だ。

はじめは面倒くさいと不平を漏らしていた仲間たちも、いつしかいっしょになって組み立てていた。出来あがったゲルはちょっぴりいびつな形となってしまったが、それでも自分たちで作ったものだと思うと達成感がある。ゲル内部に荷物を置き、ぼくらの草原体験が始まったのだった。