2007年12月01日

●今にも泣き出しそうな、この空の下で

様々な事象が数倍速で流れていく上海では、出会いと別れのサイクルもまた速い。
たくさんの人たちと出会う反面、幾人もの大切な仲間たちを見送ってもきた。

生まれも育ちも違う人たちが、遠い異国の地であるここ上海にて出会う。

それは奇跡にも似た縁(えにし)の巡り合わせであり、かけがえのないものだと思う。
ぼくはこの街での出会いを大切にし、縁を紡ぐお手伝いをしてきたつもりだ。

それがぼくに出来るわずかばかりの恩返しであり、感謝の気持ちを形にしたもの。

その活動はとても小さくて、ささやかなものだったかもしれないけれど
それでもいくつもの花を咲かせ、実を結ぶことができたように思う。

もし、その実を受け取ったと感じてくれた人は、どうかそれを次へと伝えて欲しい。

そうやって縁と縁を繋いでいけば、それは網の目のようにこの街中へと広がり
帰国者を通じて日本へと、やがては世界を被い尽くす大きな繋がりへとなり得る。

世界のどこに居ても、大切な仲間たちと繋がっていることができる。
それはとても大切なことであり、とてもしあわせではなかろうか。

時に西暦2008年1月7日、旅立ちの日。

ぼくはこの地を去るけれど、それはけして永遠の別れではなく
いつでもどこでも、仲間たちと繋がっていられると信じている。

今までどうもありがとう。愛してるよ上海! そしてここで出会った大切な仲間たち!

2007年09月14日

●さんまの歌

仕事中にふと、サンマの塩焼きを食べたくなった。

さっそくランチに出かけようと思ったのだが、会社近所の和食で思い当たるのはサガミくらい。果たしてサンマの塩焼きがあったかどうかも判らない。そこで向かったのは韓国料理店だ。焼き肉や鍋料理のイメージが強い韓国料理だが、サンマや真魚鰹などの焼き魚類も豊富に扱っているのだ。

2匹の秋刀魚(Photo by TASK_247HAPPY)
皿に並ぶサンマに嬉しくなる
サンマは2匹で35元。ランチの価格にはちと高いが、気にせずオーダーする。そわそわしながら待つこと15分、運ばれてきたサンマはよい色合いに焼けていた。大根おろしとぽん酢が欲しいところだが、韓国料理店にてさすがにそこまでは望めないだろう。

それにしても身の薄いサンマだと思いながら、箸で突き崩して愕然とした。なんとはらわたが抜き去られており、お腹の中はぽっかりと空洞になっている。骨抜きならぬ、ワタ抜きなのである。

「さんま苦いか塩っぱいか」は、文学者佐藤春男の『さんまの歌』の一節。友人の妻に想いを抱いてしまった著者の心情を綴った、叙情的な詩である。この詩の苦いとは、もちろんワタのことだ。

鮮度のよいサンマのはらわたは、苦味とともに腹身の脂と相まって、得もいわれぬ旨味を持っている。かつて通はサンマの身を食べず、ワタだけを肴に酒を飲むのが粋だったという。上海のサンマに鮮度を求めるのは酷かもしれないが、それにしたってワタの抜かれたそれにはがっかりである。

『さんまの歌』はこう続く。

そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食うはいずこの里のならひぞや。

さすがに涙までは出てこないが、抜き去り、打ち捨てられたワタを想い、悲しくなってしまった。

2007年08月29日

●ぼくのものさし (GRAND CAFE)

人間というものは、ついつい比べてしまう生き物のようだ。

たとえばBという人物がいたとする。Bは頭脳明晰で運動も得意、そのうえ性格もよいとする。ところがBの隣に、Aという人物がやってきた。彼はBよりも賢く、スポーツ万能、性格も文句のつけようがないとしたら、今まで凄いと思っていたBが、なぜか今までより見劣りしてしまうものである。

ホットチョコ:クリックで拡大
サービスも雰囲気も一流ではあるのだが……
先日、金茂ビルに登った話を書いたが、あれには裏話がある。じつはぼくたち、あの前日にも金茂を訪れていた。しかし時間が遅かったので、展望台はすでに営業時間外であった。

せっかく浦東まで足を伸ばしたのだからと、87階のラウンジcloud9も訪ねたのだが、子供連れでは入れてもらえない。そこで仕方なく訪れたのが、54階にあるGRAND CAFEである。

絶対的な視点で見れば、GRAND CAFEもよい店である。グランドハイアット内の店だけあってサービスは行き届いているし、雰囲気だって悪くはない。窓の外には浦東の夜景が広がり、極上の夜を演出してくれていた。もしここがビルの最上階であれば、きっと文句は出なかっただろう。

だが、人間は比較してしまう生き物のようだ。絶対的な視点でみれば54階からの眺望は十分に凄いのだが、このビルが88階建てだと思うと見劣りしてしまう。54/54と54/88では、同じ高さでも価値が異なる気がするのだ。すべての人がそう見るとは思わぬが、少し可哀想に思った。

ぼくが語る料理の話もこれと同じだろう。絶対値がどんなに高い料理でも、これまで食べた同じ皿とつい比較してしまう。そう考えれば、ぼくの語る『旨い、不味い』は所詮、ぼくの経験の中での相対値なのである。人それぞれ違うものさしでの批評に、果たして意味はあるのだろうか。

 

店名GRAND CAFE
ジャンルカフェ・レストラン
住所上海市浦東新区世紀大道2号 金茂大厦54F (世紀大道 x 銀城中路、交差点付近)
営業時間24時間営業
電話番号021-5047-1234 Ext.8778
アクセス地鉄2号 陸家嘴 / 公交 陸家嘴地鉄站(81,583,774,797,870,971,973,985路) ほか
予算レモンソーダ 50RMB / アイスチョコ 50RMB / ホットチョコ 50RMB
通用言語中国語 / 英語
メニュー中国語 / 英語 / 写真なし
至福の品該当なし
備考サービスチャージ(15%)が必要
Shop Information

2007年08月18日

●妻の帰来とお餅なカンケイ

日本に一時帰国していた妻が、ようやく戻ってきてくれた。

気ままなひとり暮らしではあったけれど、やはりいるべき人がいないというのは寂しい。メールや電話で繋がっていることはできても、そこに温もりはない。彼女がいることを当たり前に思っていたけれど、それはとても感謝せねばならないことなのだと、再認識させてくれた一時帰国だった。

焼き餅:クリックで拡大
弱火でじっくり火を通すと、ぷっくりふくらんでくる
さて、彼女と再会した喜びとは別に、日本からハンドキャリーで運ばれた物資も楽しみのひとつ。書籍、猫遊具など様々なアイテムを運んで貰ったが、中でも楽しみなのが食料品である。

上海では手に入らないこだわりの調味料、讃岐うどん、鯖寿司、辛子明太子と、どれもキラキラと輝く宝物のようなものだ。そしてなにより貴重なのが、義母が持たせてくれた手作りの餅だ。

ぼくが餅好きと知っているので、出発日の朝一番でついてくれたらしい。なんとも嬉しい話ではないか。さっそく焼き餅にすべく、直火で焙る。適度に焦げ目をつけながら、何度もひっくり返しデンプンをアルファ化させていく。表面がひび割れ、内側から餅がふくらみ始めたら食べ頃である。

表面をパリッと焼き上げた餅を、手で半分に割ればフワリと湯気があがる。加熱により柔らかくなった餅は、まるでチューインガムのようによく伸びた。唐辛子を加えた特製醤油を少しつけて、一気にかぶりつく。餅米の甘みと独特の舌触りが秀逸で、焦げた部分の苦みがアクセントとなる。

極上の口福を感じながら、ぼくと妻の関係もこの餅のように熱々、もっちりでありたいと願った。
 

2007年04月02日

●しっぽのきもち

縁(えにし)というのは不思議なものだと思う。

先日『猫と暮らす上海ライフ、そろそろ真剣に考えてみよう』と書いたばかりだが、この日、我が家に1匹の白い猫がやってきた。彼の名前はみーちゃん、今日から我が家の新しい家族となる。

猫と暮らすことを決意して以来、ペットショップを周ったり、欧米系の里親探しプログラムに参加したりして我が家に迎えいれるべき子を探し求めていた。ちょうどそんなとき、友人のKさんから、我が家の猫たちの里親になってくれませんかとの問い合わせを頂いたのだ。

みーちゃん:クリックで拡大
クルクル変わる表情、所作のひとつひとつが愛らしい
彼女も猫たちと別れたかったわけではないのだけれど、どうしようもない事情で愛猫たちとの共同生活が困難になってしまったのだという。

正直、どうせ育てるなら仔猫の時分から育てたいとの想いもあった。けれど、困っている友人を見過ごしにはできないし、その猫たちにはぼくも会ったことがあるけれど、とても可愛い子たちなのだ。つまりは知らない仲ではないわけで。

ぼくが猫を探し始めたのにタイミングをあわせるように、猫を引き取って欲しい人がいる。しかも、その猫たちとぼくは既に出会っているとなれば、これはもう縁の巡り合わせとしか思えない。

1匹は避妊手術を行なうために入院するというので、まずはお兄さんのみーちゃんが我が家にやってきた。そんなわけで、この日から猫とぼくらの共同生活が始まったのだった。

■しっぽのきもち -猫と暮らすステキな日常-
http://shanghai.sblog.jp/neko/

2007年03月18日

●ねこの森には帰れない

春節前に友人宅の猫たちを見せて貰ってからというもの、猫と遊びたい欲が高まっている。

彼女の家の猫たちも可愛かったのだけれど、残念ながらいっしょに遊ぶというレベルにはほど遠かった。見ているだけでも癒されるのだけれど、どうせならいっしょになって遊びたいのだ。

ごまちゃん:クリックで拡大
初めての会うぼくらにもまったく物怖じしないごまちゃん
そんなぼくの欲望を満たすため、訪れたのは友人のwadakoちゃんの家。彼女の愛猫ごまちゃんは、初めてのお客さんにも愛想を振りまいてくれるウエルカム・キャットなのである。

wadakoちゃんの後ろについて玄関の扉を開くと、さっそくごまちゃんが出迎えてくれる。なるほど、初めて見るぼくらがいてもまったく動じない。愛想よくぼくの足に擦り寄ってきてくれるのだ。

ここで猫じゃらしを取り出すと、ごまちゃんの瞳が細められた。挑発するように目の前で振ってやると、面白いように反応する。右へ、左へ繰り出す猫パンチが獲物を捉えると、素早く口元へ持っていってガブリ。思う存分、猫をじゃらして楽しむ様は、どっちが遊んで貰っているのか判らない。

こうやって猫と戯れていると、ぼくも猫とともに暮らしたいと切実に思えてくる。猫を連れて帰国するには、8ヶ月程度の準備期間がいるのだという。これまではいつ本帰国命令が出るのかも判らない状況だったので、飼いたくても飼えない状況だと我慢していたのだ。

ところが、どうやらあと3年くらいは帰任命令が出ることもなさそうで、準備期間も十分に取れそうだと判ってきた。猫と暮らす上海ライフ、そろそろ真剣に考えてみようかと思う今日この頃だ。
 

2007年02月24日

●記念日には寿司を (魚蔵天家)

ランカウイでのバカンスを終え、上海に戻ってきて数日はふ抜けのようであった。

もちろん遊び疲れ、移動疲れがあったのも事実だが、それにしたってあまりに怠惰な過ごし方ではなかったろうか。日がな一日ソファに寝転がり、DVDを観たり、昼寝をしたりでまったりと過ごす。リゾート地でなら許されるこんな過ごし方も、普段からこうではただの堕落である。

にぎり盛合せ:クリックで拡大
見た目も美しいにぎり寿司
実はこの日は結婚記念日。大切な日を怠惰なまま過ごしてはいかんと活を入れ、夕方になってようやく動き出すことができた。旨い魚介類を食らいつつ記念日を祝おうと、訪れたのは古北にある魚蔵天家。ジャズの流れる落ち着いた雰囲気の中で、大連から直送の新鮮な魚介類を楽しめる気に入りの店だ。

メニュー上にはその時々で仕入れた、旬の食材がズラリと並ぶ。どれもこれも魅力的なので何を食らうか迷ってしまうが、自分の直感を信じてオーダーした料理はすべてが美味しかった。

よく冷えたビールで乾杯し、腹いっぱいに旨い料理を詰め込みながら、ふたりだけで大切な記念日を祝ったのだった。

妻と結婚して早くも5年の月日が過ぎた。結婚した直後も、5年が経過した今も、そしてきっとこれからも、彼女と結婚してよかったと心から思うことができる。まさか5年の結婚生活のうち、1年半をここ上海で過ごすとは思ってもみなかったけれど、彼女といっしょならばきっと何処でもやっていけそうな気がするのだ。

これから何年この街で暮らすことになるのかはまだ判らないけれど、彼女と、そしてここで出会ったステキな仲間たちと共に、実り多き日々を過ごしていきたいと思う。どうかこれからも、夫婦共々よろしくお付き合い願えましたなら光栄です。

 

店名魚蔵天家
ジャンル日本料理(海鮮素材メイン)
住所上海市長寧区水城南路29号 廣場大厦1F (水城南路 x 榮華西道、新鮮組合裏手)
営業時間11:30~14:30 / 18:00~23:00
電話番号021-6275-0028
アクセス
予算特選にぎり盛合せ 240RMB / 松前漬け 25RMB / オコゼ刺し身 60RMB ほか
通用言語日本語 / 中国語
メニュー日本語 / 写真なし
備考メニュー内容は仕入れ状況により毎日変動
Shop Information

2007年01月31日

●食べ残しについての罪の意識

両親の教育の賜物だろうか、食べ物を残すことに異常なまでの罪悪感を感じてしまう。

ヒトもまた雑食の生き物である以上、他の動植物を捕食することに関してはまったく抵抗がない。
そうしなければ生きていけないのだし、それを罪だというのであれば喜んで甘んじようと思う。

ただし我々のエサとなるべく命を絶たれたものには敬意を払うべきだし、粗末にしてはならない。

喰うために命を奪った以上、我々は余すことなく食べ尽くして血や肉にする義務が生ずるのだ。
そんな考えだからつい無理な食べ方をしてしまい、あとで吐きそうな思いをすることもあった。

そしてぼくに食べられた食物は願いどおり、我が身(ぜい肉)となってこの身に貯えられていく。

店内の様子:クリックで拡大 マンゴー豆腐花:クリックで拡大 窓から通りを望む:クリックで拡大 中にはクリームたっぷり:クリックで拡大

さすがにそんな食べ方では身体に悪いからと、最近ではやむを得ない場合は残すようになった。

罪悪感が消えたわけではないし、自分のオーダーに責任を持つべきだが、無理は禁物だろう。
さいわい中国では打包が一般的なので、食べ切れないと判断したら持って帰ることができた。

ところが先日訪れた某甘味処にて、あまりにも不味い食べ物が供されたので辟易してしまった。

水が命の豆腐花は明らかに水道水の香りで胸が悪くなるし、クリームのデザートも最悪である。
自ら選んでオーダーした以上、責任を取って食べ切るべきだと頑張ったが、完食は無理だった。

量的に食べ切れないのは仕方ないと思うが、不味くて残すのはやはり罪深いことなのだろうか。