2007年11月21日

●ぼくに残された時間

友人のKENさん、きっちんさんご夫妻の送別会に参加してきた。

約4年に及ぶ上海生活に終止符を打ち、ついに本帰国するという。特別に親しい間柄ではなかったけれど、それでもいろんな節目にごいっしょした人が帰国してしまうというのは寂しいものだ。自ら望んでのことならば応援すべきだろうが、任期満了に伴う帰国とはどんな気持ちであろうか。

二次会は SHANTY でまったり
宴のラストはいつものバーで、思い思いの時を過ごす
ぼくの上海生活も既に2年を越え、時々帰国について考えるようになった。今のところぼくに任期はないが、会社命令で出向している以上、いつまた帰国命令が下るかは判らないのだ。

赴任直後に感じていた日々のワクワクは薄れ、上海での生活は日常となった。この暮らしがいつまでも続くと、毎日を無作為に過ごしてないだろうか。残された時間は、本当は有限なのに。

例えば明日帰国しろといわれたとき、ぼくは悔いを残さずに帰ることができるだろうか。そのうちにと後回しにしていたやりたいこと、行きたいところ、食べたいものが、なんと多いことか。そして、この街で出会ったとても大切な仲間たちと過ごす時間を、疎かにしてしまってはいないだろうか。

宴の会場に別れの湿っぽさはなく、誰もがいつもと同じ調子で会話に興じていた。帰国するKENさんたちの表情も晴れやかで、いわれなければ数日後にここを去るとは思えなかった。彼らが悔いを残していないかどうかは知る由もないが、ぼくも最高の笑顔でこの街を去りたいと思うのだ。

その為にも残された時間は限りあるものだと認識し、上海での日々を大切に過ごしていきたい。

2007年09月25日

●憂鬱な贈り物 (中秋節と月餅)

今年もまた中秋節(旧暦8月15日)がやってきた。

中国での月は一家だんらんを象徴している。月が1年でもっとも丸く輝く十五夜に、家族も同じく輪になって食卓を囲むのが、昔ながらの中秋節の過ごし方だ。このときに食べる菓子が月餅であり、家長が人数分に切り分け、ひとりがひと切れずつ食べる。月餅が大きいのはこのためだ。

杏花楼の月餅:クリックで拡大
ズッシリと重い月餅には、漉し餡がたっぷりと詰まっている
ところがこの月餅が、大きな弊害をもたらしている。この時期、多くの企業では社員に対して月餅の引換券が配られるのだが、その量はけっして少なくない。前述の通り、切り分けて食べることを前提とした月餅なので、核家族化が進む上海の家庭には過ぎたる量なのである。

我が社でも例年通り配布が行われたが、8個入りが2箱もある月餅は、もはや負担でしかない。

もっとも我が家はまだマシなほうで、取引先が多い会社などでは、事務所に山積みになるほどの月餅が届くのだという。大手新聞社のアンケートによれば約7割の人が貰っても嬉しくないと答えたそうだが、贈る側の面子などにも関わってくる行事だけに、まだ当分はなくなりそうにない。

今年貰ったのは、人気の杏花楼の月餅だ。甘さ控えめのしっとりした月餅はまだ食べ易いが、それでも家族2人には多すぎる。近年では過剰な包装や同梱品で、贈収賄に利用されることも多いと聞く。外国人のぼくがいうべきではないが、そろそろ月餅のあり方を考える時期かもしれない。

2007年09月19日

●大型台風直撃に備えよ

中国一の経済発展を遂げる上海であるが、その実態は砂上の楼閣である。

少し強い雨が降れば道路はたちまち冠水し、強風が吹きつければいろいろなものが剥がれ飛ぶ。地震は滅多にない土地だが、もし震度5程度の揺れが起きれば、都市機能の大半は壊滅するのではないだろうか。そんな天災に弱いこの街を、ここ10年来最大の台風が直撃するという。

冠水状態の道路:クリックで拡大
冠水部に突っ込んだタクシーが立ち往生していた
2005年8月に上海市を襲った台風は、街路樹を薙ぎ払い、市の中心部を冠水させる大きな被害をもたらした。その反省に基づいて治水事業を強化したかといえば、そんなこともないようで、ちょっとした雨でも未だに水びたしとなる。

今回訪れる台風ウィパーはさらに強い勢力を保っており、市内の小中学校や高校・幼稚園は休校し、21万人以上が避難を完了させたという。

台風が杭州沿岸に迫った18日の時点で、すでに上海市内は強い風雨に見舞われていた。水はけの悪いエリアではすでに冠水が始まり、道路はどこも大渋滞となっていた。杭州に上陸した台風は北上を始め、翌日は上海の西側を通過することになる。被害は大きい、誰もがそう思った。

明けて19日。やや明るい窓の外は、風が強い以外は平素と変わらぬ様子であった。時折、強い雨が降るものの、先日に比べれば穏やかなものである。午後からか、さもなくば夕方からなのかと身構えていたが、けっきょく大きな被害もないまま台風は温帯低気圧へと変じて幕を閉じた。

破壊の爪痕を見ずに済んだのは喜ぶべきだが、かなり案じていただけに拍子抜けしてしまった。
 

2007年04月13日

●出産通知と紅蛋

紅蛋というものをご存知だろうか。

煮玉子の殻の一部、または殻全体を赤く塗ったもので、ここ中国では出産1ヶ月後に配られる。かつては家庭で作っていたようだが、最近では保存や手間などを考えて真空パックが主流だ。

紅蛋:クリックで拡大
しっかり味の染みた煮玉子は夕方のおやつにぴったり
まだ医療が発達していない時代、赤ん坊は産後1ヶ月も保たずに亡くなることが多々あった。そこで満1ヶ月を迎えたことを通知しお祝いする意味で、この紅蛋を配る習慣が始まったという。

先日、無事に男児を出産した同僚が、子連れで会社を訪れた。残念ながらぼくが学校に行っている時間帯だったので、彼女たちには会えなかったのだが、お土産にこの紅蛋を頂いたのだ。

真空パックされた紅蛋が5個入りの可愛らしい箱がふたつ。包装を破ると中からは黒褐色に色付いた、プリプリの玉子が顔をのぞかせる。ほのかに芳ばしい香りがする玉子にかぶり付けば、中までしっかり味が染みておりなかなかの美味。仕事中のおやつとして重宝させて頂いた。

残念ながら我が家にはまだ子宝に恵まれる兆候はないが、もし子供を授かるようなことがあればぜひ、この紅蛋を配ってみたいものである。

2007年04月05日

●中国の墓参りと草餅 (清明節)

1週間前くらいから、街のあちこちで普段は見ない露店を見かけるようになった。

近づいてみると、色とりどりの香や蝋燭、紙銭(紙で作った紙幣)などを、年老いた老婆が声高に販売している。これらは中国の伝統行事である清明節にて使う、祭祀用の品々である。

清明節向けの露店:クリックで拡大
売れ筋商品があればどこへでも出張る姿勢は見習いたい
清明節は農歴(旧暦)の二十四節気のひとつで、毎年4月5日前後となっている。中国ではこの日、1年間風雨にさらされた墓所を修復・清掃し、供物を供えて礼拝する。そうすることで先祖に、家族の加護と平安を祈るのである。

毎年この時期には、郊外へ墓参りに出かける人で交通機関はごった返す。日本の盂蘭盆会は夏休みと同義になりつつあるが、ここではきっちり祖先の供養を行う家庭が多い。

清明節にまつわる風俗としてもうひとつ、青団と呼ばれる草餅を食べる風習がある。これは江南地域の文化で、臼で挽いたヨモギの葉をもち米の粉に入れて蒸し、小豆餡を包んで作る。ただしこれは昔ながらの作り方で、コンビニやスーパーで売られているものの多くは、合成着色料で色をつけた毒々しい緑色である。ベタベタした食感と相まって、あまり旨いものではない。

某有名店で買ったという青団は、きちんとヨモギの風味がして美味だった。せっかくの季節の食べ物、きちんとした店で真っ当なものを手に入れて、中国の文化に触れてみては如何だろうか。
 

2007年03月04日

●元宵節の由来

今日は旧暦の1月15日、春節の最後を締めくくる元宵節だ。

元宵節には灯籠を飾り、家々には身内のものが集まって爆竹や花火を鳴らし、湯圓を食べながら佳節を祝う。地方から都会へ働きに出る日雇い労働者らは、この日までゆっくり郷里で過ごすことも多い。なので都市部ではこの時期、労働力が不足することもあるのだ。

打ち上げ花火:クリックで拡大
至近距離で打ち上がる花火は大迫力
元宵節の由来については諸説あるが、前漢時代の武帝の側室である元宵にまつわる故事が興味深い。

後宮入りして以来一度も実家に戻れない元宵は、悲しみのあまり自らの命を断とうとした。それを助けた大臣は一計を案じ、彼女を家族に会わせようとした。それは火の神が都を焼き払い、天帝が天上から見物するという噂を流すことだった。

噂を聞いた武帝が大臣に相談すると、大臣は火の神の好物が湯圓であることを告げ、これを供えるよう助言した。また臣民が灯籠を作り各家に火を灯し、花火を上げ爆竹を鳴らせば、天上からは都が炎上しているように見えると進言したのだ。

これを真に受けた武帝は、さっそく大臣の進言を実行するように手配した。満月の夜、都には一斉に灯籠が灯され花火が打ち鳴らされた。元宵の家族もこれを見学するため都を訪れたため、無事に再会を果たすことができたのだという。

おそらく作り話だと思うが、物事の由来にまつわる故事なんてものは案外そんなものだろう。ぼくらも敷地内で打ち上がる花火を見学し、湯圓を食べながら家族だんらんを楽しんだのだった。

2007年02月17日

●大晦日の夜に (猪年快楽)

いよいよ旧暦の大晦日を迎え、街は春節ムード一色となっていた。

ケーキ:クリックで拡大
ロウソクに火を灯し、新年を祝う
年夜飯をどこで食うかは悩ましい問題だったが、うっかり出かけてしまうと帰りのタクシーを掴まえるのが困難だと聞いた。翌日は朝が早いこともあり、妻とふたり自宅で鍋でもつつきながら新春を迎えようかと考えていたのだが……。

友人から、ホームパーティをするので来ませんかとのお誘いを受ける。ふたりでゆっくりもよいが、仲間でわいわいやるのも楽しそうだ。彼女の家なら十分に徒歩圏内なので、帰りの足を心配する必要もない。これ幸いとばかり、便乗させて貰うことにした。

街の至るところで鳴り響く爆竹の音を聞きながら、ちょっとした手土産を片手に彼女の家を訪れる。

続々と訪れる客人は日本人ばかりでなく、中国人や韓国人など国際色豊かだ。彼女がこれまで紡いできた縁(えにし)、ぼくがこれまで紡いだ縁。そして、それぞれの人たちが持つ縁がひとつに繋がり、世界中へと網の目のように広がっていく。知人の知人を6人たどれば、世界中が繋がるとの話しもまんざら嘘ではないかもしれない。

夜空に咲く大輪の華:クリックで拡大
街中が花火の爆音と眩い光に包み込まれる瞬間だ
ほっこりあったかな寄せ鍋や、さまざまな家庭料理をつまみつつ、ビールにシャンパン、日本酒を酌み交わす。料理は旨いし、仲間とアットホームな雰囲気でわいわい騒ぐのは予想以上に楽しかった。今年はぼくもホームパーティを主催しようと、密かに決意する。

やがて窓の外の花火が間断なく続き始め、光と音の洪水が街を包み込んでいく。ぼくらは爆竹の音に負けぬ歓声をあげ、新年到来を祝った。

初めて迎えた上海での春節は聴いていたほど不快なものではなく、とても想い出深いものになった。来年の春節、果たしてこの街に居られるのかどうかは判らないけれど、できればこうして、大勢の人たちと笑い声に包まれながら年を越したいものだと祈るのだった。

2006年12月28日

●Raffles Cityに舞う雪

人工降雪機と聞いて思い出すのは、日本でも大ヒットしたドラマ『冬のソナタ』のワンシーンだ。

サンヒョクとの仲直りに失敗し、スキー場へ舞い戻ったユジンは、ミニョンの前で明るく振る舞う。
だが、ミニョンは彼女が嘘をついていることに気がつき、稼働中の降雪機の前まで連れていく。

「ここなら誰にも聞こえないから、大声で泣いても大丈夫ですよ。ユジンさん泣きたい顔してます」

そういい残してそっと立ち去るミニョンと、ひらひらと舞い散る雪の下で大粒の涙を零すユジン。
今、思い返してみても魂を揺さぶられるような、とても印象深い名シーンではないだろうか。

そんな人工降雪機が福州路の来福士広場に設置されていると聞き、会社帰りに見学してきた。

今年はなぜか城:クリックで拡大 人工降雪(風)マシーン:クリックで拡大 風に舞い散る様はまるで吹雪:クリックで拡大

来福士(Raffles City)では毎年、趣向を凝らしたツリーを展示するが、今年はなぜか城だった。

その城の上部に人工降雪機が設えられ、さながら粉雪のような白いものがひらひらと舞い散る。
冬ソナの劇中で使われていたのは本物の雪を飛ばすタイプだが、こちらは細かい泡を飛ばす。

アクアスノーと呼ばれる型で、屋内でも利用可能な点や、ゆっくり舞い落ちる様に定評がある。

おだやかに白い雪が舞い落ちる様は幻想的で、通りを行く市民たちも足を止めて見入っていた。
ただし、ひらひらと舞うのは数瞬だけで、この日は風が強いので真横に吹きつけ吹雪のようだ。

幻想的な雰囲気は一転、雪山で遭難しそうな気分に突き落とされ、苦笑せざるを得なかった。

 

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来福士広場 / Raffles City
住所 上海市黄浦区福州路318号 (福州路 x 西蔵中路、交差点)