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2007年11月29日

●少林武術ショーに思う

少林寺と聞いてまず思い浮かぶのは、金剛禅総本山としての姿よりも、その武術であろう。

日本では少林寺拳法と混同され易いが、これらに直接関係はない。ジェット・リー主演の映画『少林寺』により、世界に広く知られることとなった少林武術(もしくは少林拳)。これは無手の技だけでなく、棍(長い棒)、刀(青竜刀)、鞭などの武器をも使いこなす、本格的な戦闘術なのである。

青竜刀を使った演武:クリックで拡大
青竜刀を使った演武は、決めポーズが凛々しい
現代社会に於いては僧侶と戦闘術は相反するもののように思えるが、世の混乱期ではごく当たり前のことだった。宗教組織も拡大すると利権が絡み、それを狙う敵対勢力も現われる。

例えば戦国期の日本でも、寺社仏閣の武装化はごく一般的だ。広大な領地を持つ彼らは盗賊や様々な勢力に狙われる。また欧州でも教会の守護が目的の、騎士修道会などがあった。

それでは少林寺がどうだったかといえば、やはり外敵からの防衛目的の武僧集団を持っていた。伝説によれば菩提達磨大師が戦闘の効率化と、修行の一環を兼ねて、少林拳を創始したと呼ばれている。唐朝の創業期には兵力を援軍として送り込むなど、傭兵的働きもしていたという。

外敵の居ない現代では武僧団は必要ないように思われるが、少林寺では拡大の一途を辿っている。修行の一環という創始当時の目的ももちろんあるが、現在ではショーとしての小林武術が注目を集めている。国内だけでなく海外公演も積極的に行ない、寺の資金源になっているのだ。

十方禅院・エントランスのモニュメント:クリックで拡大 香立ちこめるお堂:クリックで拡大 達磨大師のお堂:クリックで拡大 歴代和尚たちが眠る塔林:クリックで拡大
1.形象拳のひとつ、猿拳 2.長い棒を手足のように操る 3.動きが早すぎて棒先がブレる 4.鋭いひと突きは気合い十分

前回の記事では、宗教文化を売り物にしていることに対して警鐘を鳴らしていたものの、実際に目にした少林寺武術ショーには思わず引き込まれてしまった。それは修行であり戦闘術であるのはたしかだが、鍛え抜かれた肉体と磨き抜かれた技は、人間の潜在能力を見せつけてくれる。

形象拳と呼ばれる生き物の動きを取り入れた拳法では、猿やサソリなどの動きを身体全体で表現する。また棒術や剣術などの舞うような動きは、武術というより舞踏のようだ。極めつけは気功術(内功と呼ばれる)で、気の力で身体を鋼鉄化したり、針で厚いガラスを突き通したりもした。

修行の一環である技を見世物にするのはどうかと思うが、これを見られないのもまた残念だと思う。相反する気持ちを持て余しつつ、良質の功夫映画を観たような気分で会場をあとにした。
 

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コメント

これは前のと違って、本物少林拳の武術ショーです?
さすがに型が決まってかっこいい(≧∇≦)
精神もろとも肉体美。たまんねっす。

>kurousaさん
周辺の武術学校学生ではなく、少林寺の武僧によるマジもんのショーです。
司会が居たり、音楽や照明の演出があったりと、エンターテイメントショーに
なっちゃってますが、それでも鍛え抜かれた技は本物。興奮しますよ!

初めて投稿させて頂きます。
これはどこに行けば見れるのでしょうか?
非常に興味あります。

>gaapさん
河南省にある少林寺にて行われているショーです。
なので気軽に観に行くってわけにはいかないですね。

昨年であれば、同様のショー(少林魂)を上海にて
公演していたんですが、今はたぶんやってないです。
上海ブログなのに、上海関係なくてスミマセン(^^;

私も少林寺に行きました。
同じく、ショーを見ました。他派の事ですので、
すっげぇ~、かっこいぃいいい~ と、思いました。
兄弟子(元軍河南地区武術チャンプ)は
“あれは表演だよ”
って言いますが、凄かったと思いました。

その後、全国チャンプの女の子の剣を見ましたが、
これまた、凄かった。

中国って広いです。

>暗黒寺さん
カッコイイというか、血湧き肉踊る感じですよねぇ。
たしかに表演かもしれないけど、それにしたって凄い。
雑技とか、こういった武術とか、自分は人間という生き物の
身体的可能性をまったく引き出せていないなと思ってしまいます(^^;

たとえ表演であっても技は本物でしょうね。
それはそれで私も観てみたいものです。
禅で言えば肝心なのは観るものの中庸のこころだってことだと思います。
見世物が偽者であれ、本物であれ
料理の味がまずかろう、旨かろうが
軸の揺るがない中庸の心であれば、それはそれぞれ楽しめる。

すべてが虚構であり、すべてが真実である

達磨のように倒れても元に戻る中庸心が自分もまだまだ足りないですね。

>デニーロさん
たしかに辛い修行の末の表演ですから、その技は真実ですよね。
中庸のこころ、ぼくにはまだまだ遠い境地のようですが、
自分なりの解釈で真実を見極めることができたらなと思います。

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